経営者人事対談 > インタビュー記事一覧 > Vol.019 フリービット株式会社(酒井穣 氏)

フリービット株式会社(酒井穣 氏)

樋口:
実際に「経営者は孤独だ」というお話はよく耳にします。しかし経営者としては、ある時点で次世代の経営者育成を考えなくてはなりません。部長や課長の立場の人材を経営者の立場に引き上げるにはどのようなことが必要なのでしょうか。

酒井
まず、部課長を経営層に引き上げることは非常に難しいことだと考えた方がよいでしょう。なぜなら経営者とそれ以外の立場の人の間には非常に大きな溝があるからです。その大きな溝とは「リスクを取った経験」です。経営者は自身の生命も含めて全てを失うリスクを負って自分のビジネスを立ち上げています。それに対し、サラリーマンはそれほどのリスクを負ったことがなく、その差が全く別の生き物だと言えるほどの違いを生み出します。そのためサラリーマンから経営者になるためには、極端には、自分の全財産を自社の株に変えるだけの覚悟が必要なのです。

私のお客様にも後継者を決めるときに、候補者に会社を譲る引き換え条件として家を担保に入れることを提示したというエピソードを伺ったことがあります。

その方法しかないと思います。しかし、そのような覚悟を決められる人材はそういるものではないのも事実です。実際の経営者育成では、いきなり全財産を担保にさせるのではなく、まずは車を株に変え、成功すれば庭に範囲を広げ・・・と徐々にリスクの範囲を増やしていくという手がよいと思います。
たとえば、オランダではワークシェアリング制度が発展しており、安定した大企業に基軸を置きつつベンチャーを立ち上げるというケースがよくあります。はじめは週1日をベンチャーに費やし、成功してそれを2日に増やしたり、失敗して1日に戻したりということを繰り返し、「いける」という確信ができた時にベンチャーに専念する、という事例も珍しくありません。ベンチャーに転身することは、結果的に大企業にいる時よりも高いリスクを背負うことになります。しかしいきなりその世界に飛び込むのではなく、それまでの階段を慎重に上げることで「リスクを背負うことに対しての免疫」を徐々につけていくのです。日本にもリスクをとることに興味を持っている人材は潜在的にはいるはずですので、このようなことが日本でもできるようになると、産業が活性化するでしょう。

私は経営の仕事を「責任を楽しむ」と表現しています。私は会社説明会等で学生に仕事のやりがいやモチベーションについて聞かれることが多いのですが、私自身は「気が付いたらここにいた」という表現に近く、彼らの質問に答えられないのです。しかし経営者の責任は非常に重く、これが楽しめなくてはいけないと考えているので、先の表現をよく使っています。ここで言う責任とは「リスクを負う」ことであり、おそらくそれ自体を楽しむことができるということなのでしょうね。

経営者にとってリスクを負うことが自身のインセンティブに繋がっているのはその通りだと思います。責任を楽しめることの背景には自己重要感、つまり自分が重要な存在だと思うことに対して満足感を得ることがあります。この自己重要感そのものが経営者にとってのインセンティブだと言えるでしょう。
実はこのインセンティブには中毒性があります。人は成功すると褒賞として脳内では中毒性の高い脳内麻薬が出るものなのです。たとえばスロットの初心者がスリーセブンが並ぶのを見ると、見た目には大喜びしているように見えます。対して熟練者の場合はスリーセブンが出ても見た目には落ち着いているように映るかも知れません。しかし、脳内麻薬の量という点で見ると熟練者の方が多く出ており、中毒性も増しているのです。
ビジネスの場面でも同じことで、ビジネスで成功を経験すると「もっと成功したい」という気持ちになります。成功とはその回数によって中毒性が増していくものなのです。
最近、あまり上昇志向のない若者を草食系と表現することがありますが、私は草食系が上を目指す気持ちがわからないのは、成功体験の数が圧倒的に少なく、成功する楽しさを知らないためだと考えています。そう考えると、彼らに成功体験を与えることで、草食を肉食に変えることも可能でしょう。

成功にも色々な質や大きさのものがあると思いますが、最も重要なのは回数なのでしょうか。

これは私の感覚なのですが、回数だと考えています。類似する理論に「人間は接触回数が多いものを好きになる」というアメリカの社会心理学者ザイオンスの理論があります。おそらく成功を好きになるという点でも根源は同じなのではないでしょうか。

責任を楽しめるようにするためには、それに向けた成功体験を積ませるということが必要なのですね。